「ソフトウェアとは何であるか?」
この一見すると簡単な質問に胸を張って答えられる人がどれくらいいるのでしょうか?私は、私も含めて誰一人としていないと考えています。
もし、「ソフトウェアはプログラムである」や「ソフトウェアはコンピュータにインストールするものである」、「ソフトウェアはコンピュータ上で実行されるものである」等と言う人がいたらもう少し思考する範囲を広げてください。 IT業界以外でも、ハード面とソフト面と言った使い方をすることがありますが、この場合の”ソフト”とはいったい何を指しているのでしょうか? ハードウェアではないものがソフトウェアだとすると、ハードウェアが何であるのかということを問わなければならなくなってきます。 また、先の「コンピュータ上で実行されるもの」とした場合、「実行とは何だ?」の問いに答えられなければ、「ソフトウェアはコンピュータ上で実行されるものである」であるという答えは答えになりません。 ソフトウェア哲学は、こういったソフトウェアの周辺で”当たり前”として使われている何気ない常識について、疑いを抱き、真剣に考えます。
まずは、108の質問 に答えてみてください。
ソフトウェア哲学の目的は、真のソフトウェアを知ることにあります。
これまでソフトウェアは、構造物やオブジェクト、関数であるといったようにこれまで私たちが理解し易い代替品になぞらえて扱ってきました。ソフトウェア工学もソフトウェアを代替品と同等のものとして扱う既成の概念の上に成り立っています。確かに、時代背景や技術的な問題を考えると、ソフトウェアをこれまでのように扱わなければならなかったという経緯は理解することができます。しかし、現状を見つめた場合、そういった代替品としてではなく、真のソフトウェアを知り、ソフトウェアならではの扱い方をしなければならないところに来ているのです。
現時点、私は、ソフトウェアはコンピュータ世界に依存するようなものではなく、社会性を含んだ言語、知識、心といった人間そのものに大きく依存するものであると考えています。そのため社会や経済だけではなく、哲学や宗教といったものも含めて考える必要があります。これまでの西洋科学だけで、ソフトウェアを知ることの限界はきています。
この真理にたどり着けるのかどうかは分かりませんが、ソフトウェア哲学というアプローチで、ソフトウェアについて考えることは、今後の進化や発展、パラダイム革命に必要であると信じています。
2009年10月4日
濱 勝巳 (アッズーリ) |