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『新ソフトウェア宣言』にまとまるまで、思索に耽り、対談をし、試案を作成し、推敲しといったことを繰返しました。特に、2010年6月29日に濱勝巳氏と大槻とで横浜中華街で点心をいただきながらの対談は、まとめの方向性を得る契機となりました。以下は、その対談直後の書簡のやりとりです。

メモ:ソフトウェアエンジニアリングの呪縛 6/29/2010
大槻

点心懇談:呪縛の着地点の模索


 呪縛、そして、そのまとめは何のためにあるのか? これが、懇談の中心課題でした。少し、我々は理想が高過ぎるのかもしれません。ベースラインとして、呪縛=閉塞感や現状の課題認識については、総意を形成し、これを確認できいると言えるでしょう。その先にある明るい未来や方向性については、参加した方々が、それぞれ考えるという主観世界にあるというのが、正しい認識です。

 一方、知働化研究については、呪縛検討はその一つのステップであって、その先を考えなくてはなりません。知働化をビジネスにしていくためには、それぞれの知働化メンバのビジネスモデルの中に組み入れていく地平が見えていなくてはなりません。知働化研究会では、あまりビジネスモデルについては議論されていませんし、どうしても日々の業務に追われて、皆さん考えられていないのではないでしょう。そういう情況下で、知働化を価値に変えていく道筋を考えることが、我々(呪縛コーディネータ)に課せられた問題だと思います。
 知働化活動の価値を創出する手段は、大きく3つあると思います。

(1)知働的なソフトウェアそのものを開発すること

(2)知働的な仕組み(社会/経済的システム)を構築すること

(3)知働的な場(交流や社会的インパクトのある知見)を提供すること

 (1)のソフトウェアづくりについては、高野先生の連想検索エンジンとそれをとりまく様相が好例だと思いますが、今後、新しいソフトウェアづくりをして、そのディスコース含めて知働的であるものが生み出せるとよいと思います。濱さんの会社のサイトを発展させたようなもの(根茎化の実現)、萩原さんのクラウドコンピューティング領域での新しい手法(数学的基盤付き)とその実施例、私の見積り手法を発展させた(ゲーム理論の適用)予測エンジンなどが候補として掲げられます。また、知働化研究会メンバでコラボレーションして、何か実験的につくって見るというのも今後、企画として有りだと思います。

 (2)の仕組みについては、山田さんの知働化プロセスや、株式会社知働化の路線を発展させることによって、次世代(ネクスト・ソサエティ)のソフトウェアへの関わり方が明確にできると思います。濱さんのセル生産方式の実践、羽生田さんも興味がある「場」、私がビジネス領域として捉えているITコスト・投資・価格決定手法とそれを取巻く制度・契約・企業間協調の方法などが相当します。

 (3)は若干、曖昧模糊としていますが、知働化研究会そのもののコミュニティ価値に関する事項です。研究業績や知見による社会的なインパクトの与え方そのものや、交流の場を継続して提供できるようにする価値です。参加している人々のレピュテーション向上、アイデンティティ確立に寄与できるかどうかがポイントです。10名少々のコアメンバが集まり毎回議論し、知働化研究誌を作ることは、それぞれのメンバの自由研究、探究心を満足させ、さらに、各自のビジネスや仕事に何らかの刺激があるからでしょう。新しい研究領域、例えば、「ソフトウェア哲学」や「ソフトウェア経済学」が注目されていけば、それは望外の効果でもあります。

 (1)〜(3)は、相補的な関係にあり、それぞれのメンバが持っているテーマごとに、3つの視点があると思います。実践事例としてのソフトウェアやソリューションを持ちながら、それを取巻く仕組みを考え、社会的なインパクトを与えて行くという、結構あたりまえな活動が軸になるでしょう。

 さて、上記の知働化活動の全体像の中で、呪縛のまとめが位置づけられるとよいと思います。「まとめ」という意味での方向性は、大きく3つあります。

〔1〕まとめない。

〔2〕物語的なまとめをする。

〔3〕曼荼羅的なまとめをする。

 〔1〕は、現状認識というスナップショットであって、7つの項目に集約することさえ放棄してしまうというものです。これはこれで、一つの誘惑です。少なくともまとめ過ぎないことというのは、方針としては有りだと思います。

 〔2〕は、7項目を、その順序で述べることによって、一つの世界観を提示するものです。『論考』的といってもよいでしょう。私がここのところ検討してきた方向です。それぞれのキーワード(**論、**化など)が連環し、相乗効果を持って、一つの呪縛というメッセージを表わすようにするということです。私がもともと、呪縛→神話→問題 という図式で捉えていた事項も、一つの「物語り」を提示することによって、インパクトのあるメッセージを発信したかったところにあります。

 〔3〕は、物語りというより、図式的・構造的に世界を語るという方向だと思います。7つの視点をそれぞれ2軸で描き、その総体として全体像を浮き彫りにするという、これまたかなり挑戦的なまとめの方向です。

 無論〔2〕と〔3〕とを折衷したり、相補的なものにして、まとめていく方向もあると思いますが、これにはもう少々時間がかかるでしょう。むしろ、まとめ方を示して、今後の検討課題として残すという案もあり得ます。両者とも、実は、語ってしまうと、そのものではなくなるという難しさがありますね。まさに、「まとめに関する本質的困難」とでも言うべきものかもしれません。

 最後に、濱さんと私との相乗効果という観点で大きいのが、仏教と言語ゲームの相補的性です。佐々木先生主催の「科学と仏教」路線にも近いですし、多くの共感者を取り込んでいく戦略としても有効です。五蘊の色受想行識と、クリッペンドルフの意味論的転回との関係は、素晴らしい発見ですね。

 個人的な私の戦略をあえて述べれば、知働的価値創出は、IT分野の戦略、特に、見積り(予測)に関するコンサルティングの実践領域に取組みつつ、ソフトウェアづくりの代わりにソフトウェアづくりの方法論を開発し、言語ゲーム的転回というメッセージ発信をしていくところに注力したいと考えています。簡単に言うと、バリー・ベームやドラッカーをベースに、ジャクソンの方法論を発展させ、ウィトゲンシュタインの力を借りるといった感じです。

 おそらく、濱さんがもやもやとしたもの足りなさを感じている事項というのは、知働化という高尚な哲学と理論領域が、ビジネス実践に落とし込めていないところなのではないかと推察しています。ビジネスというのは、企業活動としての日常ですから、哲学や理論なき実践、何が旨く行くか、わからない領域です。私がよく「売魂」と発言している感覚に近いと思いますが、実践領域には理屈無き世界が広がっています。知働化が経営戦略上の刺激になればよいというくらいの姿勢がちょうどよいのではないでしょうか。

2010年6月29日
 大槻 繁

メモ:ソフトウェアエンジニアリングの呪縛 6/29/2010

点心懇談返:呪縛の着地点の模索


 大槻さんの点心懇談を読んで、その返しではないですが、私が感じたことを書いています。

まず、私が、ソフトウェアエンジニアリングの呪縛ワーキンググループではっきりしたことは、呪縛されることは悪いことではない事、呪縛からの解放はないという事です。何らかの呪縛に拘束されている状態が、一般的に無意識、自然、習慣、慣例等御と言われるものになると思っています。この状態の中に居続けては新しい世界観は生まれません。新しい世界を生むには、自らが拘束されている呪縛を知るということが大切であると考えます。
私が呪縛や知働化といった活動に期待することは、新しい世界に飛び出す力を知り、それを得るということなのです。その世界観の中でのソフトウェアやそれを取り巻く環境、社会、それを扱う人々への可能を知りたい、将来に対してワクワクを胸躍らせたいということが正直なところです。

世界観の変わったソフトウェア。例えば、時間辺りの計算量に期待した三次元空間の仮想現実による置き換えではなく、多次元の空間や無限の時間を利用したソフトウェアというものが作れるのではないかと考えています。所詮、新しい世界も人の主観世界内(言語)での話ですので、新しい世界は如何様にでも作り出すことができる。小説や映画の中でタイムマシンが存在できるのですから、ソフトウェアでもタイムマシンを実現することは可能でしょう。そう考えると楽しくてたまらないのですが、そういった遊びに付き合ってくれる人が少ない事が残念です。

また、論理や確率や近似とは異なる、ブッダの理論や減算的な思考による間違えるソフトウェアや矛盾するソフトウェア、赤点(及第点)ソフトウェアを発見し、利用することによって、人間臭いソフトウェア=知働ソフトウェアでこれからビジネスをしていきたい、できると考えています。これらの発想は、萩原さんのクラウドに対する取り組みや、高野先生の連想検索エンジン、本橋さんの「ゆる」とも関連したところがあります。その一つとしてアッズーリ社のサイトはあのような形になっていますが、私自身がまだ囚われている呪縛から逃れられていないこともわかると思います。

 新しい世界は、集約点のある静的な活動、PDCAによる改善やイテレーションのような周期的な繰り返しの動的活動ではなく、カオスを生み出すシンプルな仕組み、プロセスを持つ事が大切であると考えています。東大の合原先生の講演を聞いてもカオスそのもの難しい話しはよく解りませんでしたが、これらかはカオス的な社会や仕組みが絶対に必要であることは感じました。制御ではなく統御ということも気に入っています。この辺りは、大槻さんや山田さんの作った狭義と広義のアジャイルプロセスや山田さんのいう学習(学び)とも通じるものなのではないかと思います。

 呪縛のまとめでは、新しい世界を見る、知るための力(智慧)に何があるのかということをしたいと思っていました。分類することではく、力を知りたい。ちょうど大いなる智慧である般若波羅密を中心とするその他の波羅密の六波羅蜜に近いものを感じています。まずは取りあえず、6つか7つの項目に集約して智慧を身につけるために入り口にしたいというようなことを考えています。そのために、物語や曼荼羅のようなもので、いい感じにふわっと曖昧に記述できることが大切であると思っています。その記述を見て自由に志向を探してもらえれば良いのではないでしょうか。体系化や整理は最悪ですね。

 知働化活動は、運が良いのか、意図的なのかはわかりませんが、知働化とは何かを説いていません。先の曖昧な記述にあるように、この方針は続けて行ってもらいたいと思っています。ふわっとさせて置くことが重要だと思っています。一時的に知働化やその周辺の記述も言葉が独り歩きすることになると思いますが、アジャイル宣言に見られたような発展可能な曖昧さを持ち続けることで、それらは次第に収束することになるでしょう。例え誤解を招いても、元祖は私たちであるからそのインセンティブは得られるでしょう。管理せずともちらからないアーキテクチャを用意する事は本当に難しい。

「知働化活動の価値を創出する手段」を読んでわかりましたが、大槻さんと私の違いは、大槻さんが外側の世界に関心を集中させて、私は人の内部(主観世界、戯論)に関心を集中させていることにあるのではないでしょうか。アプローチの違いです。戯論の因縁で大槻さんのいうような外側の世界は顕れてくるでしょう。私も大槻さんの言うような外界になってくれればと思っています。
呪縛や知働化活動に私が期待することは、前にもありますが、新しい価値観、世界観を常に作り続ける作れる人になろう、そういった知恵を身につけられる一つの場になれることです。その上で、それぞれの人が生み出した新しい価値観を社会やコミュニティとしてつないでいく活動であれば素晴らしいと思っています。

2010年6月29日
 濱 勝巳


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ユーザー不明,
2010/07/15 19:50
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