本資料の最初に紹介したベルンハルト・ルジンブール作『スズメを撃つのに大砲を持ち出す』に対抗して、筆者も作品を作ってみました。やはり、スズメを撃つには、単純なパチンコがよいのです。変化に俊敏に対応できるアジャイルプロセスの象徴として位置づけることできるでしょう。 ソフトウェアエンジニアリングの第2の波から第3の波へのシフトの契機になったのは、アジャイルプロセスの出現です。これは、社会的な背景としては、1990年代後半から急速に普及したインターネットの活用にも後押しされています。 【アジャイルソフトウェア開発マニフェスト】 アジャイルプロセスが脚光を浴び始めたのは、2001年頃からです。『アジャイルソフトウェア開発のマニフェスト』では、以下の事項を掲げています。簡潔明瞭、判りやすいメッセージです。 図の右側にある事項より、左側にある事項の方をより重要だと考える価値観です。アジャイルプロセスと呼ばれているものには、多くの種類がありますが、基本的な価値観は共有していますし、従来のウォータフォール型開発へのアンチテーゼという位置づけになっています。 【アジャイルプロセス協議会のあゆみ】 テクノロジックアートの長瀬氏と共同で、筆者がエクストリーム・プログラミングで有名なケント・ベックを招聘したのは2001年4月のことです。この時の盛り上がりで日本XPユーザ会(通称XPJUG)が立上がりました。これが日本でアジャイルプロセスが周知されたきっかけになっていると考えられます。以降、雑誌や著作が多く出版され、急速に普及していきました。 XPのプラクティスに代表されるように、当初のアジャイルプロセスは、どちらかと言うとエンジニアや開発者の中での実践に留まったものでした。普及していくにつれて、ビジネス領域との関係、クライアントとの契約や見積りといった企業活動としてのアジャイルプロセスについて検討していく意識が高まってきて、2003年7月に組織や企業参加を前提としたアジャイルプロセス協議会を設立しました。 アジャイルプロセス協議会は、WG(ワーキンググループ)活動が主体となっています。設立時から見積り、契約、プロジェクトマネジメント等がテーマとして設定されていて、組織に関わる事項が採上げられているのが特徴です。 2006年頃からは、ソフトウェアセル生産、TOC(Theory of Constraint)、組込みソフトウェア、J-SOXといったビジネスマインドや実務領域の課題に挑戦するWG活動が活発になってきました。どの企業も、海外の書籍で紹介されているようなものを味見する「なんちゃってアジャイルプロセス」の時代は終了し、各企業独自の文化にとけ込んだアジャイルプロセスを構築し始めています。 そして、今までの取組みが、どちらかと言うと第2の波へのアンチテーゼ的な位置づけだったのに対し、本来の知識社会の価値観や世界観に基づくアプローチとして始まったのが『知働化研究会』です。これについては、最終章で詳説します。 【狭義から広義のアジャイルプロセスへ】 前述のアジャイルプロセスのエンジニア領域内のものから、ビジネスや経営領域への拡大は、狭義のアジャイルから広義のアジャイルプロセスへのシフトと言えます。 上図の広義のアジャイルプロセスの歯車の図は、本資料の表紙にも掲げたデザインです。ちなみに、上図の狭義のアジャイルプロセスの歯車の図では、歯が内側に向いたデザインになっていることに注意してください。 【価値駆動アプローチへ】 広義のアジャイルプロセスでは、ビジネスプロセスと開発プロセスとの協調・同期、あるいは、連動がポイントになります。従って、開発プロセスがどういった価値をもたらすかという観点が必要になります。 上図の3×3の《価値と解のマトリクス》は、『価値駆動アプローチ』という新しい世界観にパラダイムシフトしていくための道標にしようと考えてみました。 「価値」とは何かというのを問い始めると哲学の世界の深みにはまってしまうのですが、要するに外の人々の組織・チーム・人への期待感(期待効用)だと思えばよいでしょう。これを、ベースになるマネジメントがしっかりしているという「組織」、ユーザに不確実性に対応するための選択肢(オプション)を与える「不確実性」、成長して発展していく時間軸の観点からの「進化」という3つに集約してみました。 「解」というのは、ここでは、主としてソフトウェアエンジニアリングの技術にどういうものがあるかという観点から整理してみました。開発方法論、ツール、プロセス等の構成要素を因数分解してみると、最終的には、「抽象化」「自動化」「モジュール化」に帰着できることが判ってきました。 3つの価値と3つの解とを組み合せて、マトリクスにすると、いろいろなことが見えてきます。伝統的なウォータフォール型、最近のアジャイルプロセス、それを強化したアジャイル・ソフトウェアセル生産方式が、どのような価値を提供しているかもこのマトリクスにマッピングすることができます。 【次世代の価値観】 インターネットの普及、技術革新、社会・経済原理の変貌等によって、ソフトウェアやシステムを取巻く世界観も新しいパラダイムに移行してきています。 「パラダイム」という用語は、元来、科学哲学の分野で使われているもので、天動説から地動説へのコペルニクス的転回といったように、人々の価値観や常識が覆されるような事柄を示します。ソフトウェアの分野では、これほどの大げさなものではなくても、新しい考え方の提唱や視点が変わる程度のことでもこの用語を使うことが多いようです。実際に上記の図でも、旧来の価値観も踏襲しつつ、新しい方向へ向けて移行していく姿を表わしたいと考えています。 |